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天狗

信仰

《天狗信仰と秋葉三尺坊大権現》

 

◎真言

①オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ(天狗呪第一)

②オン・ヒラヒラ・ケン・ヒラケンノウ・ソワカ(天狗呪第二)

 

◎印…天狗印 

 

◎種子…(カ)

 神とも魔怪とも知れぬ、日本固有の修験道系の尊。天狗(てんぐ)という言葉は、「日本書紀」の舒明天皇9年(637年)の頃に初めて登場します。書記には「平城京の上空、東から西に向かって流星が大音響をあげて飛んでいった。これを見た僧旻(そうみん)が、これ流星にあらず、天狗なり、と天皇に奏上した」とあります。そしてこのときのアマツキツネは、災いをもたらす凶星と観念されました。  のちに、生前、霊力の高かっ行者や僧侶が大天狗や小天狗に祀り上げられたり、法力はあるが何らかの堕落により天狗道(仏道でも人道でもない魔境)に陥った者が天狗に変じるとされるようになりました。

  だが、はじめ魔怪であった天狗も、のちに仏法護法の神となり、いずれにして独自の信仰体系のなかに発展しました。ここにあげた真言は、修験道で用いる「天狗経」にあるもので、「南無大天狗小天狗」からはじまって、愛宕山太郎坊・鞍馬山僧正坊・比叡山法性坊・横川覚海坊・富士山陀羅尼坊・秋葉三尺坊など、日本各地の天狗名を連ね「総じて十二万五千五百、所々の天狗来臨影向、悪魔退散所願成就、悉地円満随念擁護、怨敵降伏一切成就、の加持、「おんあろまやてんぐすまんきそわか、おんひらひらけん、ひらけんのうそわか」と結ばれています。「あろまや」とは、一説に金星のこととされ、転じて妖星=あまきつね=天狗の異名となりました。また「すまんき」は、天狗の象にあるように、天狗が従える「数万騎」の狐を意味するといわれます。

  このような歴史の中、秋葉三尺坊大権現も静岡県は遠州秋葉山修験道場、秋葉神社の神々との山岳信仰と共に、徳川家康の庇護のもと、伊勢神宮・出雲大社より人気を博し全国にその広がりをみせました。秋葉三尺坊大権現は、大日大聖不動明王・観世音菩薩・山の神々を融合した、神仏集合の神仏です。

 その姿は、烏天狗(からすてんぐ)の身体に、大日大聖不動明王の持物である、利剣と羂索を持った白狐の上に立つお姿です。また、白狐の手足には白蛇を巻いており、頭と尾の先には宝珠を載せ、口には五鈷金剛置杵を咥えている姿が本来とされ、ここでもまた、神仏一体が表現されています。

  この神仏での祈願・供養などは、内護摩、外護摩、紫燈護摩等の秘密護摩を修法することとされています。

《明治の神仏分離と秋葉三尺坊大権現》

 

◎秋葉神社と可睡斎

神社 秋葉神社…「火之迦具土大神」に名を変えて祀られる

仏教 秋葉総本殿(可睡斎‐曹洞宗)…「秋葉三尺坊大権現」として祀られる

※以降全国がこれにならって祀ることになりました。

◎何故に曹洞宗か?

 元々は神仏一体の仏のため、神道系・仏教系(当山派修験道…天台宗系)の境なく曹洞宗僧侶が中心となって管理されていたが、徳川家康の時代に僧侶と修験道で所有権争いがおこり、家康との縁があった寺側が勝利したことで、曹洞宗・可睡斎が主流となり、参勤交代を通し大名の間で全国的ブームとなった。

  北陸も加賀藩の藩主、前田利家が瑞龍寺建立の際、可睡斎に習い祀ったとされます。真言宗の寺院においても、それに習い祀ったとされます。 

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